そして1964年、それまでイギリスのミュージシャンがアメリカでNo.1を獲得することが皆無だった中、1月(イギリスでは前年の11月)にリリースしたシングル「I Want To Hold Your Hand」が見事No.1を獲得し、最後の砦”アメリカ”をも制覇することとなったわけです。
4月には全米チャート1位〜5位を独占するという驚異的な偉業を達成し、この時こそ、彼らが名実共に世界のビートルズとなった瞬間と言えると思います。
そして、これまたタイミングが良いことに、2月にはアメリカCBSテレビの超有名番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演。
この日の最高視聴率は72%を叩き出し、番組の放送中は全米で青少年による犯罪が一件も起きなかったという逸話があるほどです。
ジョン・レノン射殺、9.11同様、ある層より上の年代のアメリカ人は、このとき、どこで何をしていたか覚えていると言われていますが、それほど大きなインパクトだった事を裏付けるエピソードと言えると思います。
その後の初の渡米ツアーも大成功に終わり、ビートルズが一つの頂点を迎えた年、それが1964年という年だったわけです。
実は、No.1を獲得する前から、既に「エド・サリヴァン・ショー」や全米ツアーが決まっていたのですが、これ以上無いタイミングで1位を獲ってしまう辺り、やはり人知の及ばない力が作用してるとか思えません。
#米キャピトルレコードとの策略が無いとは言えませんが・・・。
ところで、このNo.1獲得の知らせを、ビートルズはどこで知ったのか? というと、イギリス・・・ではなく、実はパリでこの知らせを受けたと言われています。
1964年1/16〜2/4、ビートルズは渡米の前にパリツアーを行なっています。
当時、ビートルズはパリではさっぱり知名度も人気も無かっため、 ル・ブールジェ空港に到着した時、出迎えのファンは全く無く、マスコミ関連の人間が数人居ただけだったとか。
コンサート自体もフランスの女性歌手シルヴィ・バルタン目当ての男性客がほとんど占め、ビートルズ演奏中は全く盛り上がらなかったそうです。
とは言っても、このツアーの音源(City Of Light等)を聴くと、ビートルマニアの絶叫こそ無いですが、それなりに盛り上がってはいますけど。
と、云うことで、1964パリ滞在時のビートルズの写真です。
まずは凱旋門。
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次はモンマルトルの丘。
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ジョルジョ・サンク・ホテル。超高級ホテルです。当然5つ星。玄関は改装されて変わってしまってました。
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オリンピアシアター。1964年コンサートを行った場所です。
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ポールは、2007年、43年ぶりにここでライブをしました。
残念ながら1964年のコンサート時の曲は演奏されませんでした。が、珍しく"I'll Follow The Sun"を演奏したので、以下にリンクを張っておきます。一応1964年繋がり。
最後はエッフェル塔。これは1964年でなく、1961年のジョンとポールのパリ旅行(1961/9/30〜10/14)での1枚です。
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イギリスと同じく、天気に恵まれ、ラッキーでした。

(訪れたのは7/11,12)