2009年08月15日

パリ

1963年はリバプールの田舎者4人組がイギリスを制覇した年でした。

そして1964年、それまでイギリスのミュージシャンがアメリカでNo.1を獲得することが皆無だった中、1月(イギリスでは前年の11月)にリリースしたシングル「I Want To Hold Your Hand」が見事No.1を獲得し、最後の砦”アメリカ”をも制覇することとなったわけです。

4月には全米チャート1位〜5位を独占するという驚異的な偉業を達成し、この時こそ、彼らが名実共に世界のビートルズとなった瞬間と言えると思います。

そして、これまたタイミングが良いことに、2月にはアメリカCBSテレビの超有名番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演。

この日の最高視聴率は72%を叩き出し、番組の放送中は全米で青少年による犯罪が一件も起きなかったという逸話があるほどです。

ジョン・レノン射殺、9.11同様、ある層より上の年代のアメリカ人は、このとき、どこで何をしていたか覚えていると言われていますが、それほど大きなインパクトだった事を裏付けるエピソードと言えると思います。

その後の初の渡米ツアーも大成功に終わり、ビートルズが一つの頂点を迎えた年、それが1964年という年だったわけです。

実は、No.1を獲得する前から、既に「エド・サリヴァン・ショー」や全米ツアーが決まっていたのですが、これ以上無いタイミングで1位を獲ってしまう辺り、やはり人知の及ばない力が作用してるとか思えません。
#米キャピトルレコードとの策略が無いとは言えませんが・・・。

ところで、このNo.1獲得の知らせを、ビートルズはどこで知ったのか? というと、イギリス・・・ではなく、実はパリでこの知らせを受けたと言われています。

1964年1/16〜2/4、ビートルズは渡米の前にパリツアーを行なっています。

当時、ビートルズはパリではさっぱり知名度も人気も無かっため、 ル・ブールジェ空港に到着した時、出迎えのファンは全く無く、マスコミ関連の人間が数人居ただけだったとか。

コンサート自体もフランスの女性歌手シルヴィ・バルタン目当ての男性客がほとんど占め、ビートルズ演奏中は全く盛り上がらなかったそうです。

とは言っても、このツアーの音源(City Of Light等)を聴くと、ビートルマニアの絶叫こそ無いですが、それなりに盛り上がってはいますけど。

と、云うことで、1964パリ滞在時のビートルズの写真です。

まずは凱旋門。




次はモンマルトルの丘。



ジョルジョ・サンク・ホテル。超高級ホテルです。当然5つ星。玄関は改装されて変わってしまってました。






オリンピアシアター。1964年コンサートを行った場所です。


ポールは、2007年、43年ぶりにここでライブをしました。

残念ながら1964年のコンサート時の曲は演奏されませんでした。が、珍しく"I'll Follow The Sun"を演奏したので、以下にリンクを張っておきます。一応1964年繋がり。




最後はエッフェル塔。これは1964年でなく、1961年のジョンとポールのパリ旅行(1961/9/30〜10/14)での1枚です。



イギリスと同じく、天気に恵まれ、ラッキーでした。



(訪れたのは7/11,12)
ラベル:旅行 Beatles
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2009年08月14日

ビートルズ関連書籍

早いものでいよいよ1ヶ月をきったリマスターCDの発売!



と言うことで予想はしていましたが、便乗(?)含め、かなりの書籍が発売されます。

まずはオリジナルアルバム紹介系。

rockin'on BOOKS vol.1 THE BEATLES
9月9日にデジタル・リマスター盤が出るビートルズの、すべてのオリジナル・アルバムを徹底的にレヴュー。さらにスペシャル・インタヴューやドキュメンタリーで、いろんな角度からビートルズの本質に迫っています。
ザ・ビートルズ・CDガイド レコード・コレクターズ2009年10月号増刊
オリジナル・アルバムから4人のソロまですべてがわかるハンドブック! 全CDを曲目つきでていねいに解説。9月にリイシューされるのを機に完全攻略を狙うファンにも、再入門しようというファンにも、とても便利な一冊です。
コンプリート・ビートルズ リマスターCD公式ガイド
今年9/9に長く待たれていたリマスターCD(全15タイトル)が全世界でリリースされるビートルズ。これを機に、ザ・ビートルズ・クラブ(オフィシャル・ファンクラブ)の監修により、ビートルズ作品の公式ガイドブックを発売。40年間ビートルズとともに歩んできたクラブが制作する「公式」ガイド。
HE DIG Special Issue ザ・ビートルズ CDエディション
2009年9月9日のビートルズ・リマスター盤世界同時発売に併せて、ビートルズCDの魅力を徹底的に検証する1冊。
・デジタル・リマスターCDの全貌
・発売40周年記念『アビイ・ロード』徹底研究
・既発ビートルズCDの徹底分析
・レア・フォト&インタビュー
など盛りだくさんの内容。
CROSSBEAT Special Edition ザ・ビートルズ
ザ・ビートルズの決定版が遂に登場!! クロスビート責任編集による究極の一冊が完成しました。バンド・ヒストリーはもちろん、詳細なディスコグラフィ、全米ツアーや来日の秘蔵写真などを一挙掲載。更にメンバーの語録や4人を多角的に解説したコラムも網羅。そして、グリーン・デイ、コールドプレイからミューズ、ローリング・ストーンズまで、ミュージシャン100人が選んだ「ビートルズのベスト・ソング」を紹介。ロック史上最大の革命児、ザ・ビートルズがロック界にどんな影響を及ぼしたのか?その真実に迫った内容です。
ビートルズ笑激の裏入門
名曲の秘密に裏から迫る爆笑の決定版(!?)ガイド。
ビートルズの完全リマスター盤発売に併せて、緊急出版が決定! ビートルズのアルバム11枚、シングル23枚をおもしろおかしく語る、ほかにはない名曲ガイド。著者は、『マイルスを聴け!』、『クワタを聴け!』『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』など、鋭い視点でジャンル問わず数々の音楽に切り込んできた中山康樹氏。ヒットを飛ばし、新たなリスニングの楽しみを提供してきた氏ならではの視点で、毒舌かつ愛情溢れるビートルズ考察が繰り広げられる。ビートルズの初心者からマニアまで、読んで学んで笑えること必至!

次は、ここぞ!とばかりの便乗系。

ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版
あの名著が遂に復刊!! 1962~70年にビートルズが行ったレコーディングの全記録を日記形式で克明に綴ったドキュメンタリー・ブック、その「完全版」が登場。1990年の初版発行以降に発売された作品の記載はもとより、新たに発覚したレコーディングに関する事実なども加筆。大量の図版(レコーディング風景写真やテープ・レーベル、アルバム・ジャケット撮影風景)も収録した、まさに全ビートルズ・ファン必携の一冊。2009年9月9日発売のビートルズ・リマスター音源に対する最高のガイド・ブック!!
ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実 <新装版>
1966年「リボルバー」から1970年「アビイ・ロード」まで、ビートルズのレコーディング現場にいた、ただひとりのエンジニア、ジェフ・エメリックが語る全世界初の未公開エピソード満載、ビートルズ・サウンド・メイキングのすべて! 数多いビートルズ本の中でも既に新しい古典となった、あの名著がニュープライスの、ニューエディションで再登場! ジェフ・エメリックからの日本語版への特別メッセージ収録! 2009年9月9日発売のビートルズ・リマスター盤についての最高のサブ・テキスト・ブック!
「真のビートルズ・ファンならば、ぜひとも<サージェント・ペパー>と<リボルバー>のモノ・ヴァージョンを入手するべきだろう。ステレオ・ミックスとは比べものにならないほどの時間と労力が、モノ・ミックスには投入されているからだ」(ジェフ・エメリック) 本文より
新装版 全曲解明!!ビートルズサウンズ大研究
ビートルズファン必携のあの名著上下巻を、 1冊に凝縮して復刊!! ビートルズのサウンドに込められた意図を、完コピ・ミュージシャンが、作詞・作曲・歌・演奏・コーラス・アレンジ・楽器・録音技術などの音楽的視点から、譜例を交えて1曲ずつ全213曲を解明していく。他のビートルズ本では知りえなかった、しかしファンが一番知りたかった内容がずっしり。本書を読んだら、今まで聴こえなかった音が聴こえてくるはず!

最後は雑誌系。

snoozer (スヌーザー) 2009年 10月号

Rolling Stone (ローリング・ストーン) 日本版 2009年 09月号
ザ・ビートルズ インタヴューブック THE BEATLES INTERVIEW BOOK 「不滅のメロディ、4人の言葉」

一番の注目はやっぱりレコーディング・セッションでしょうか。マニアにはおなじみの名著ですが、絶版になっていた関係で定価3000円のところ一時期は15000円位してました。最近は5000円〜の相場のようです。

マーク・ルイソン原著の改訂版は出版されていないので、解説等を充実させた日本独自版のようなので、驚きの新事実なんかは無いでしょうが、やっぱり期待しちゃいます。僕は2冊予約しました。バカですねぇ・・・。

またジェフ・エマリックの本は賛否両論だとは思いますが、僕は中々面白く読めたのでお勧め。こちらは内容変わらずのただの廉価版っぽいです。(昨年無くなったノーマン・スミスの本も是非日本語版が出て欲しいのですけどね・・・。翻訳&出版がんばって、Kさん!)

他にもまだまだ出るだろうし、DVDやブート、海外のものまで含めたら、とても全てに目は通せそうもありません。また、オリジナルアルバム紹介系のは、どうせ似たり寄ったりの内容だと思うので、あまり買う気は無いですが、結局は全部買っちゃうかも・・・。ちなみここに載せたのを全部買うと18000円位になります(1冊価格不明なので予想で)。

ステレオBoxモノBoxと、あとゲーム買ったら10万越え!破産だ・・・。
ラベル:Beatles
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2009年08月13日

レストラン・アルピーノ

1962/9/4、ビートルズはEMIスタジオでの2回目のレコーディングを行ないました。

そして、レコーディングの合間に、アルピーノというレストランで食事をしています。
リハーサルとレコーディング・セッションの間の空き時間(午後5時半〜7時の間)に、ジョージ・マーティンはビートルズとニール・アスピナルを夕食に連れ出し、ピーター・セラーズやスパイク・ミリガンのレコーディングをしたときの話をして彼らを楽しませた。「マリルボーン・ハイ・ストリートのアルピーノという小さなイタリア料理店へ連れて行ったんだ。みんなスパゲティを食べて、ひとり当たりの値段が3シリング9ペンスほどだった。別に高級な店でも何でもなかったが、彼らは感激していたよ。こういうのをいい暮らしというんだ!ってね」

なかなか初々しいエピソードです。現在、このお店はゲッティと名前が変わっています。



ちなみに、この日9/4のレコーディングは、デビューシングルを録音するために行なわれました。
6月6日の初めてのセッションから90日後、ビートルズは再びEMIスタジオを訪れ、デビュー・シングル用のレコーディングに再度挑戦した 午後2時から5時までは第3スタジオで、ロン・リチャーズのもとで精力的なリハーサルを行った。6曲練習し、そのうちの2曲が夜のセッションでレコーディングされた。スタジオは午後7時から10時まで予約していたが、結果的には11時15分までかかった。そのうちの1曲はオリジナル曲にこれといったものがないと感じたジョージ・マーティンが前もって選んでいたミッチー・マレー(本名ライオネル・ミッチェル・スティッチャー)の"How Do You Do It"だった。マーティンはこの曲をビートルズのデビュー・シングルに強く推した。

"How Do You Do It"のレコーディングについては、最近になって興味深い事実が明らかになった。もっとも注目すべき点は、ビートルズがこの曲のアレンジをかなり変えていたことだ。ジョージ・マーティンから送られてきたオリジナル・でも収録のアセテート盤を聴いて、自分たちのスタイルにあうように時間をかけて編集したに違いない。しかし、ジョンとポールはあくまでも自分たちの曲をシングルとして発売することを望んでいた。したがって、ビートルズは一応"How Do You Do It"をレコーディングする準備はしていたが、それは嫌々ながらの話だったし、やる気はなかった。その気持ちをくみ、現時点でのかんばしくない仕上がりからいずれ大きな飛躍があるだろうと見込んだジョージ・マーティンは、レノン=マッカートニーの行く末をもう少し見守ることとした。

その後、ビートルズのレコーディングが採用されなくなると、この曲はジェリー・アンド・ペースメーカーズにまわされた。ジェリーはマレーのオリジナル・バージョンではなく、ビートルズのアレンジをコピーしている。

ジェリー・アンド・ペースメーカーズはこの曲でチャートのナンバーワンを獲得している。

※一部省略、順序入れ替えてます


"How Do You Do It"は、"Ultra Rare Trax 1"で聴くことが可能です。また、"Anthology 1"にも収録されていますが、こちらのバージョンは"Sessions"製作の際にミックスされたもので、"Ultra Rare Trax 1"収録のオリジナルバージョンと比べて、曲終わりの歌詞の一部が少しだけ差し替えられています。



が、ビートルズはあくまでオリジナル曲にこだわり、「Love Me Do」も録音します。

また、この日は、リボルバーからレギュラーエンジニアとなるジェフ・エマリック(当時まだ15歳!)が、EMIスタジオに勤めだしてから2日目となる日で、先輩エンジニアであるリチャード・ランガムに付いて、夜のセッションを目撃しています。
7時少し前、マイクが拾ったしゃべり声を聞いて、ぼくはなにごとがはじまったのかと、コントロールルームの窓側に向かった。はじめて目の当たりにしたビートルズの姿は、さほど記憶に残るようなものではなかった。下のスタジオでは7人の人間が動きまわっていたが、いっぷう変わった髪形のおかげで、4人のメンバーは簡単に見分けがついた。ただしクリスが絶賛していた革のジャケットではなく、きちんとプレスされたワイシャツにネクタイという出で立ちだった。

「How Do You Do It テイク1」と彼がいうと、一瞬の間を置いて、メンバーのひとりが震え声でカウントし、バンドは演奏を開始した。クリスやほかのスタッフから、さんざん前あおりを聞かされていたせいか、正直いって彼らの演奏には、少しがっかりさせられた。リズム・ギターも兼ねるリード・シンガーは、鼻にかかったユニークな歌声の持ち主で、音を外さずにうたったものの、さほど熱がこもっていなかったし、リード・ギタリストはなんだかぶきっちょうそうだった。この演奏でいちばん印象深かったのは、おそらく、パワフルでメロディックなベース・プレイだろう。窓からのぞき見ると、ベーシストは同時にハーモニーもつけていた。

ほんの2、3テイク録っただけで ー ジョージ・マーティンはそのあいだ、手持ちのトークバック・マイクで指示を出していた ー 全員が満足したらしく、バンドはプレイバックを聞くために、コントロールルームに上がってきた。

プレイバックを聞いたジョージ・マーティンがOKを出したとき、ぼくはビートルズの4人が何度も座り直しているのに気が付いた。なにやら納得のいかないことがあるらしい。口火を切ったのはジョンだった。

「なあ、ジョージ」と彼は自分たちのプロデューサーに、無遠慮に話しかけた。「はっきりいってオレたち、この曲はクズだと思うんだ」ジョージの驚いた顔を見て、彼はいくぶん表現をやわらげた。「つまり、たしかにいい曲かもしれないけど、オレたちがやりたい路線とはちがってるってことさ」

「じゃあきみたちはいったいどういう曲をやりたいんだ?」困り顔のプロデューサーが訊いた。

眼鏡を外し、目を細めてジョージを見つめたジョンは、単刀直入にこういった。「オレたちはどっかのだれかが書いたヤワな曲じゃなくて、オレたち自身の曲をやりたいんだ」ジョージ・マーティンはかすかにおもしろいという顔をした。

「じゃいうがね、ジョン。きみたちがこれに負けないくらいいい曲を書いてきたら、喜んでレコーディングしようじゃないか」ジョンは彼をにらみつけ、しばらく、不穏な雰囲気が漂った。

するとポールが礼儀正しいが断固とした口調で、「今のぼくらは、ちょっとちがった方向性を目指したいと思っているんです。それにぼくらの曲は、決してその曲に負けていないと思います。もしよかったら、ちょっとやってみたいんですが」

ジョージ・マーティンはノーマンと顔を見合わせた。権威をふりかざすべきなのか、それとも要求を呑むべきなのか、迷っている様子だった。しばし各メンバーの顔を見つめ、彼らの本気度を推しはかろうとしていたが、ついに沈黙を破り、穏やかな声でいった。「わかった。じゃあその曲を聞かせてくれ」

5人がゆっくり階段を下りていくと、ノーマンはぼくとリチャードを振り向いてかぶりを振った。「ずいぶん生意気な連中じゃないか、ええ?でもたぶん、ああでなきゃここまで来れなかったのかもしれないな」

「見なよ、リチャード」驚いたぼくは、思わずこう口走っていた。「ちがうやつがうたってる!」

ノーマン・スミスがふくみ笑いをした。「そこがこのバンドの強みのひとつさ。オーディションのとき、このバンドには強力なリード・シンガーがひとりじゃなくふたりいるのがわかったんだ。ギタリストもうたえるんだぞ。まぁ、あのふたりほどうまくはないが」

僕はポールの声の響きがすごく気に入った。丸味のトーンは、ジョンのもっとどぎつい音色とは好対照を成していた。それ以上に印象的だったのが、ふたりの声のブレンドで、ハーモニカを吹かなくてもいいパートでジョンが低音のハーモニーをつけると、クリス・ニールのいった通り、エヴァリー・ブラザーズそっくりになったーただし、音楽性はずっとアグレッシブだったけれど。

少ししてジョージ・マーティンがコントロールルームに戻り、ノーマンに意見を求めた。「悪くないよ、ジョージ。悪くない」彼はいった。「さっきの曲みたいにすぐ火がつくってわけにはいかないかもしれないが、うん、たしかに聞かせるものがある」

※一部省略してます
ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』 P71〜
Geoff Emerick & Howard Massey 著

ということで、めでたくオリジナル曲「Love Me Do」が、彼らのデビューシングルとなったわけです。すばらしいぃ。

「"How Do Yo Do It"で行こうと決めていたんだが」とジョージ・マーティン。「最終的には私も"Love Me Do"を採ったよ。あれはとてもいいレコードだった」

とは言うものの、実はジョージ・マーティンはこの日のドラムも気に入らず、9/11にはスタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトを起用して再レコーディングを行ないます。

が、最終的には何故か両方のバージョンが採用され、シングルはリンゴ、アルバムはアンディ・ホワイトのバージョンが収録されることとなりました。(現在リンゴ・バージョンはパスト・マスターズで聴く事ができます。)

また、この日のレコーディングには、写真家デゾ・ホフマンも立ち会ったため、プロ・ビートルズとしてはごくごく初期の貴重な写真が多くの残されています。撮影場所は第3スタジオ。ジョージの左目周りのあざは、キャバーンクラブで殴られた痕です。痛々しい・・・。



この日の写真では無いですがプロダクションチームの面々です。左からリチャード・ランガム、ノーマン・スミス、ジョージ・マーティン。



話があちこち飛びましたが、アルピーノの場所はこちらです。


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(訪れたのは7/1)
ラベル:旅行 Beatles
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2009年07月13日

セント・パンクラス教会(Mad Day)

1968/7/28の午後から夕方にかけて、ビートルズの4人は、ロンドンの7箇所(!)でフォトセッションを行います(Mad Dayと呼ばれています)。ここはその5番目の場所です。

メインカメラマンのドン・マッカリンの他、マル・エバンスの息子ゲイリー、ヨーコ、当時のポールのガールフレンドであるフランシー・シュワルツも動向しています。

この公園内では9箇所で撮影が行われていますが、最後の9番目で撮影された下の写真は赤盤青盤の見開きの写真で有名です。



今回の旅行では100箇所以上は回ったと思いますが、この公園は最も相性が悪い場所でした・・・。と言うのも、この公園に足を運ぶこと、なんと3回!!!

1回目は7/9に来たのですが、撮影中にお通じが良くなってしまい、近くの駅で用を足し(往復約20分)、帰ってきたら、なんと門がClose!!!ノォ〜〜〜〜。

イギリスでは大きめの公園には門があることが多く、この公園は21:00には閉まってしまうとのことでした。ということで結局この日は1箇所でのみ撮影。なんだよ、せっかく来たのに。

2回目は7/10。この日は現地の日本人ガイドさん+ドライバーさんとロンドン郊外のビートルズスポットをドライブしたのですが、わりとサクサク回れて時間が余ったので、昨日無念に終わった公園でリベンジすることになりました。

到着は20:00ちょい過ぎ。時間的には余裕です。が、やはり用を足そうということになり、昨日と同じく近くの駅まで。ちらっと昨日の悪夢がよぎりましたが、帰ってきて20:30だったのひと安心。余裕綽々で撮影していたのも束の間、公園の管理人(?)みたいなおっさんが来て「今日は早く帰るから門閉めるよ」とのこと。な、なにを〜〜〜〜〜、規則ってものがあるだろっ。規則ってのものが。5分だけ延長してもらったものの、結局この日は3箇所で撮影。あと6箇所残ってるし。

他のビートルズスポットではかなりラッキーな撮影ができた所もあったのですが、ここはとことん相性が悪いようで、今回の旅ではあきらめようと思ったのですが、せっかく遠路はるばるやってきて悔しさ120%だったので、7/13に3回目のトライをしました。

今回は前回までの反省を活かし、朝一で撮影に挑みました。もちろん、出すものは全てドバっと放出済み。

ということで、3度目にしてやっと9箇所全てで撮影ができました。とりあえずいい感じの5箇所載せますぅ。いやー大変だった・・・。








場所はこちら。


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ラベル:Beatles 旅行
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2009年07月12日

ラウンドハウス

1966/10/15、インターナショナル・タイムズ(IT)の創刊記念パーティが行われた場所です。



ポールはアラブ風の衣装、マリアンヌ・フェイスフルは尼僧の格好で現れたとか。一般的にカウンターカルチャーと言えばジョンのイメージが強いですが、アヴァンギャルドやアングラに先に心酔していたのは実はポールだったということが今では良く知られていて、このイベントへの参加もその象徴の一つと言えます。

バリー・マイルズがポールの助力を得て創刊した、強い影響力を持ったアンダーグラウンド紙「インターナショナル・タイムズ」は、その創刊を記念したラウンドハウスの夜についてこう書いている。「あの奇妙で巨大な、円筒形の車庫で踊り回っている、2500人の人々。暗闇には、ただついては消える照明があるばかり。仮面をかぶった人々に半裸の娘たち。あちこちに突っ立ち、いったい何が起こっているんだと訝っているその他の人々。マリファナの煙」クラブ・カルチャーの夜明けはクラブの宣伝チラシの登場によって告げられ、この「IT」創刊イヴェントも例外ではなかった。マイルズとその仲間たちは、知り合いに誰彼かまわず手紙を送りつけ、こう請け合った。

Pop/Op/Costume/Masque/Fantasy-Loon/Blowout/Drag Ball. All night rave to launch International Times, with the Soft Machine, Pink Floyd, steel bands, strips, trips, happenings, movies. Bring your own poison and flowers & gas filled balloons & submarines & rocket ships & candy & striped boxes & ladders & paint & flutes & feet & ladders & locomotives & madness & autumn & blow lamps.


上にも名前が出てますが、このイベントの目玉の1つが、当時のアングラのカリスマ、ピンクフロイドのライブでした。

実は、翌67年に彼らが出す1stアルバムのプロデューサーは、ビートルズの1stからラバーソウルまでのエンジニアを担当したノーマン・スミスなのですが、彼がエンジニアに昇格した結果、ビートルズの新たなエンジニアとなったのがジェフ・エマリックです。

超売れっ子のビートルズだからこそ規則の厳しいEMIスタジオで何でもやれたとか、コンサートを止めスタジオに篭ったとか、リボルバー以降の革新的なサウンドが生まれた要因はイロイロなところに散らばっているのですが、その中でもジェフ・エマリックの存在は重要なポイントの1つなわけで、タイミングよくノーマンが抜けちゃう辺り、なんとも人知の及ばない宇宙のプログラムです。

ちなみに、67年にビートルズがサージェントペパーを制作していた時期、隣のスタジオではピンクフロイドが1stを録っていて、覗きに来たポールは「彼らにノックアウトされた」という話も残っています。

またこのラウンドハウスは、ビートルズの68年暮れにライブ復帰コンサートが予定されてた場所でもあります。実際、アップルはこの会場を押さえていたとのことですが、ここに書いたように白紙になり、結局はトゥイッケナムでの「この世で一番悲惨なセッション by ジョン」へと繋がっていくわけです。

そういや、2008年に20ウン年ぶりに再活動したマイブラが演奏した場所でもあります。

場所はこちら。


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ラベル:旅行 Beatles
posted by ハル at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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